令和2年11月26日 第11回歎異抄講義 教学研修会
令和2年11月26日午後6時より、高松興正寺別院において第11回教学研修会が開催されました。
当初、ご講師の龍谷大学教授 玉木興慈先生にお越しいただき、高松別院本堂での講義を予定しておりましたが、大阪府での新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、オンライン研修会に急遽変更となりました。
前回の研修会と同様に、高松別院本堂に大型スクリーンを設置し、検温、消毒、換気等の三密対策を十分に行った上で、パソコンでのオンライン受講が難しいという方にも本堂で受講していただけるようにいたしました。
今回は、歎異抄第四条の講義です。
仏の慈悲(大悲)のお話の中で、慈悲は我々人間に可能なのかという問いがありました。例えば、親が子に向ける愛は慈悲に似てはいますが、それは親が子に限定した特定の相手を対象としており、またその心はいつまでも続くわけでもありません。正像末和讃には「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ、如来の願船いまさずは、苦海をいかでかわたるべき」とありますように、私自身は小さな慈悲さえも持つことが出来ない身であり、それが凡夫であるこの私の心であるとのお話でした。
そして、仏の慈悲(大悲)を行ずるとは、顕浄土真実信文類では、真の仏弟子を「釈迦諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり」と表現されております。「金剛といふは、すなわちこれ無漏の体なり」とありますように、金剛心は煩悩のない心のことであり、何ものにも破壊されることのない堅固な心を表しています。阿弥陀仏からいただいた信心は、決して壊す事ができません。お念仏とは、阿弥陀仏の慈悲(大悲)のお心であるとお聞かせいただきました。
次回も皆様お誘い合わせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。