令和七年特別研修会開催

十月六日の十四時より、高松興正寺別院において特別研修会が開催されました。今回の研修は本寂上人百五十回忌お待受け研修という位置づけで、講師に大原観誠先生をお迎えし「名号が授与されるとき~讃岐国への教化を振り返る~」という講題でご講義いただきました。
また、今回の講義は希望者に向けてYouTubeでも配信し、別院での参加者三十名に加えて、YouTubeでの配信視聴者が十四名と大変盛況でした。

この研修会は、本寂上人が残した日記やその時代の資料を基に、本寂上人が名号を染筆された際の様々な状況にスポットをあて、本寂上人はどのような思いで名号を染筆されていたのかということについて考えていくとともに、讃岐国への教化がどのように行われていたかを振り返るという内容でした。

講義の前半は、地震で倒壊した高松別院本堂が、弘化三年に再建された際の上棟式の賑やかな様子や、高松の真宗門徒であった玉(たま)楮(かじ)象(ぞう)谷(こく)という江戸時代後期の漆工と本寂上人とのつながりを軸に、当時の高松の法義繁栄の様子をご講義いただきました。

後半は、明治七年(本寂上人六十七才の時)に現在のさぬき市津田に創設された北山説教所についてのお話を中心に講義してくださいました。この説教所は当時北山地区全住民の手により創設された説教所で、完成した際に本寂上人に懇願し、本尊脇掛けの九字十字名号を染筆してもらったという記録が残っています。残念ながらこの北山説教所は平成十年に説教所としての役目を終え、その後は地域の集会所として活用されていましたが、今はその役割も終え、昨年ついに電気もストップしてしまったようです。

大原先生は研修の前日、東讃教区の僧侶数名とともに実際に北山説教所の跡地を訪れ、この説教所の世話をされていた地元の方のお話を聞き、実際にこちらに飾られていた本寂上人直筆の九字十字名号をお借りしてこの研修会に持ってきて披露してくださいました。

研修の最後に大原先生は、歴史を学ぶこと、知ること、調べることは、自明の事であっても忘れ去られていく過去を確認することであり、同時に私たちの今現在を確認する作業であると締められました。実は私もこの研修の前日に、北山説教所跡に同行させていただいたのですが、地元の方が当時手書きで丁寧に残された北山説教所についての記録を拝見したり、現地の方が過去の説教所の様子を話される姿を実際に目の当たりにしたりすることで、いかにこの地の人々が真宗の教えを学ぶことに熱心であったのか、この説教所がいかに北山地区の方にとって大切な存在であったのかということが身に染みてわかりました。

今回の研修を通して本寂上人と讃岐国とのつながりを身近に感じることができ、来年四月に本山で開催される本寂上人一五〇回忌法要に向けて大変有意義な研修となりました。 

(尾形秀明 記)