教学研修会 第二十回歎異抄講義
令和五年二月十三日、玉木興慈先生(龍谷大学教授)をお招きして教学研修会が開催されました。この度はコロナ蔓延防止のため、オンラインでの開催となりました。
今回、玉木先生がお話しくださったのは、『歎異抄』第十条。「はからいの誡めについて学ぶ」というテーマでお話しくださいました。
講義前半は、法然聖人のお言葉「義なきを義とす」の「義なき」について、親鸞聖人のお書物のお言葉を伺い、どう解釈されてあるのかをお話し下さいました。まず「義なき」の「義」は、行者のはからいという意味である、行者のはからいというのは、行者がこうすれば阿弥陀様に救ってもらえる、こうすると阿弥陀様に救ってもらえないというような自業自得の道理でものごとをとらえることであるときかせていただきました。そして「義なき」というのは、行者のはからいのないこと、つまり行者が、「今より良くなりたい」とも、「今よりも悪くなろう」とも思わないことときかせていただきました。
講義後半は、「義とす」の「義」について、先哲方によって理解が分かれることを聞かせていただきました。一つは本義、正しい道理という理解、もう一つは如来のはからいという理解ときかせていただきました。私自身仏教を学び始めて二年、一つの参考書を読んで勉強するというやり方を中心に学んできましたが、一つのご文に対して、いろんな先哲方のお書物を読んで、先哲方それぞれの理解を比較し伺っていくことの大切さに気づかせていただきました。
約一時間半という限られた時間の中で要点をおさえてお話し下さいました玉木先生、お忙しい中ご聴講くださいました皆様に感謝申し上げます。ここ二年程オンライン開催が主となっていますが、これからはコロナの状況をみつつ、対面の授業の開催についても考えていけたらと思います。
(千葉政幹 記)(通信員 今井憲昭)