2025年9月

こころの言葉

自分の中にあるものに目を向ける

この言葉は私のご門徒さんが教えてくださった言葉です。

そのご門徒さんは、50代半ばでご主人を亡くされました。ご主人は会社でも人望が厚く、亡くなられてから3年経った今でも、同僚の方がご門徒さんのご自宅にお参りに来られるのだそうです。

その時に「若いのにご不幸されましたね」とねぎらいの言葉をいろんな方がかけてくださったそうです。しかし、その言葉を何度も聞くうちに、「夫を亡くしてしまった私って不幸なのだらうか」と思い悩むようになったのだそうです。

それがきっかけで仏教のおはなし、いわゆるお説教を様々なお寺に聞きにいくようになったのだそうです。その中で出会った言葉が「自分の中にあるものに目を向ける」という言葉でした。

夫という大切な存在を亡くしたけれど、今自分の中にあるものに目を向けてみた時に、子どもに恵まれていること、健康に日々生活できていること、仕事も無事に再開できていること、そんな自分の中にあるしあわせに気づいたことで、少し気持ちが楽になったとおっしゃられてました。

大切な人との別れというのは、人生の中で1番の悲しみであるという方もいます。大切な方を亡くされ、深く思い悩んだ時には、1度自分の中にあるものに目を向けてみてください。


2025年8月

こころの言葉

本音が言えない私たち

他人に対して、自分の思いや考えを伝えた時
「普通は、⚪︎⚪︎なんじゃない?」
「常識的に考えて⚪︎⚪︎だよ?」
というふうに否定される場面って、よくあると思います。

自分と違う価値観、自分と違う考えを持っている人に対して
「それっておかしくない?」と直接的な表現でなくても、そう受け取れてしまうことが
日常で起こっています。

かくいう私自身も、その場面に出くわすことがあります。

当たり前のように使っている、この「普通は…」という言葉。
これってなんなんでしょうか。
この普通は、誰にとっての普通でしょうか。
誰が基準になっているのでしょう。

読者様も、これを機に、今一度考えてみてほしいのです。

私たちはそれぞれ、価値観や常識、固定概念など、生まれてから培ってきたものが違います。

前述の例でいうと
「普通」や「常識」に当てはめて考える人もいれば、
それには囚われず、自分の信念に基づいて考える人もいます。

ここで、お伝えしたいことは
「自分と他人は違って当たり前」だということ。

その前提を持っていれば、自分と違う考えであっても
「ああ、この人はそう考えるんだな」
と思えるようになるんです。

他人に対して柔軟な考えの元行動すると、自ずと自分も、自分の気持ちや考えていることを素直に表に出すことができます。

一切の何にも囚われず
自分や他人を受け取れることで、人間関係がうまく回っていきます。

「自分の本音を言うのが怖い」

と思っている方は、それを言ったとき嫌な思いをしたとか、罪悪感を感じる経験があるのだと思います。

しかし、自分の本音を言わずして、誤魔化したり、変に取り繕うことをしていても
なかなかうまくいかないのが現状です。

自分と他人は違う
だからこそ、認め合い、分かち合うことが大切だと思います。


2025年7月

こころの言葉


今日が最後でも良いように

2025年7月に日本が大災害に見舞われるという予言が現在話題になっているのをご存知でしょうか。
この予言は海外でも話題になっており、7月初旬の海外から日本への旅行客が減少するなど社会現象となっているようです。
ですが、そもそも人の命というのは「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」と白骨の御勧章にもあるように、いつ終わりがくるかわかりません。
本当に来るかどうかも分からない未来を心配するよりも、いざというときに慌てることがないよう、日頃から災害への備えを怠らず、大切な人には感謝を述べ、今日が最後の日になっても良いように一日一日を大切に楽しく過ごしましょう。


2025年6月

こころの言葉

晴れるのを待たなくていい

梅雨の時期は雨で気持ちもどんよりすることがありますね!
心が沈み、先が見えないとき、「こんな私ではだめだ」と思うこともあるでしょう。でも、阿弥陀さまの救いは、私の心が晴れるのを待ちません。悲しみや迷いの中にいる今このとき、すでに阿弥陀さまは「そのままのあなたを救う」と手を差しのべてくださっています。


2025年5月

こころの言葉

無理になにもしない

私たちは無理に「こうしよう、ああしよう」と頑張っているのではないでしょうか?
無理に人に勝とうとしたり、自分を飾ったりせず、自分の流れや自然なリズムに素直に生きることが何より大切です。
他人を変えようとするより、相手のありのままを認め、社会や自然と調和しながら生きていきましょう。


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