令和4年 高松興正寺別院 秋季永代経

10月11日(火)午前10時より、高松興正寺別院の秋季永代経が勤修されました。

昨年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により内勤めとなったため、2年ぶりの秋季永代経となりました。コロナ前は午前に秋季永代経を勤め、おときを挟んで、午後から本山大相続講を勤めていましたが、今回もおときは実施せず、午前中に秋季永代経のみを勤修する運びとなりました。

本山大相続講については、11月11日(金)午前10時より、同じく午前中のみ勤修する予定です。

この日は素晴らしい晴天に恵まれ、とても過ごしやすい一日となりました。
40名ほどの方が熱心に参拝してくださいました。

午前10時より、『阿弥陀経』を正宗分にしたお勤めが行われました。各組から代表出勤を賜り、綾南組 佛生寺住職の鈴木久義氏が法中登壇を行いました。代表出勤と自由出勤を合わせて、21名の内陣出勤があり、登壇者以外は、全員マスクを着用してのお勤めとなりました。

法話は本山布教使 観音寺市 一心寺住職 香川正修先生にお願いしました。

香川先生は、令和5年4月18日(火)~20日(木)に厳修される本山興正寺慶讃法要(宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年・御影堂等復旧奉告法要・嗣法就任式)のテーマである「今こそお念仏-つなごうふれあいの輪」について、様々なエピソードを交えながら、分かりやすくお話してくださいました。

まずは「今こそ」ということで、先生はテレビでも有名な予備校講師 林修氏の「いつやるか。今でしょ!」という言葉を出され、「過去は変えられませんし、未来は分かりません。まさに今が大事なのではないですか?」と切り出されました。

親鸞聖人で言いますと、得度のときに詠んだ「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」というエピソードや、比叡山を下りられ、六角堂での夢告を経て、法然上人のお念仏の教えに出遇われたことが、聖人にとっての「今」だったのでありましょう。

次に「お念仏」についてですが、先生は「南無阿弥陀仏のお念仏は『わが名を称える者を浄土に生まれさせることができないならば、仏に成りません』という法蔵菩薩の願いです」と確認された上で、「名前を呼ぶ」ということに注目されました。

その例として、東日本大震災のときの、ある家族の悲しいエピソードを紹介してくださいました。
この家族は父、母、娘の3人家族でしたが、この日は父のみが自宅におり、母と娘はそれぞれ別の場所に出かけていたそうです。震災後、自宅は倒壊し、父が瓦礫の下敷きになってしまいました。

娘は急いで自宅に戻り、「お父さん!」と叫びました。すると、「おーい」という父の声がしました。

よかったと思ったのも束の間、「ここは危ないから離れなさい」という父の声がしました。
娘は「お父さんを置いては行けない」と断りますが、状況を理解し、自宅を離れる決心をしました。
娘が去る前に父は「キヨコ!」と、母(妻)の名前を呼んだそうです。

その後、父は亡くなり、娘は助かりましたが、心に残った傷は深く、この出来事を母に話せたのは、10年以上経ってのことだったそうです。

このように、声を通して、相手の存在を感じるということがあるのです。

最後の「つなごうふれあいの輪」について、先生は「今つながっていないものをつなぐというよりも、つながっていることに気づくことです」と、教えてくださいました。

その例として、あるテレビ番組で、見知らぬ国の見知らぬ人と、何人の紹介でつながるかという企画があったことをお話してくださいました。

その番組では20人だったそうですが、すでに発表されている研究結果によりますと、平均7、8人だそうです。

また、お婆ちゃん子だったある若者が、お婆ちゃんが亡くなったときにあげられた『正信偈』を聞いた途端に、小さい頃の思い出がよみがえって、涙を流したというエピソードも紹介してくださいました。

目には見えませんが、『正信偈』を通して、お婆ちゃんとのつながりを実感されたのでしょうね。

「今こそお念仏-つなごうふれあいの輪」を胸に、今、お念仏を通して、本来の温かいいのちのつながりを共に育んでまいりましょう。

法話の後は、全員で『恩徳讃』を唱和して法要を終えました。
お参りさんには、別院からのお土産として、帰りにパンとお茶が配られました。

知堂4人、教化参拝6人の役職者には、法要の準備から片付けまでご協力いただきました。この他、たくさんの方々のご協力を賜り、無事に秋季永代経を勤めることができました。

この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。