令和2年 高松興正寺別院 本山大相続講

11月11日(水)午前10時より、高松興正寺別院において、本山大相続講が勤められました。

例年は午前に秋季永代経を勤め、おときを挟んで、午後から本山大相続講を勤めていましたが、今年は春先より続く、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により、おときが実施できないため、秋季永代経と本山大相続講を別々の日に、午前中のみで開催する運びとなりました。

行事開催にあたっては、「検温」「手指消毒」「マスク着用」「密集を避ける」「換気を実施する」など、できる限りの感染防止策を施しました。

本山大相続講とは、文政11年(1828)4月6日に興正寺第27世 本寂上人が「親鸞聖人のお念仏の教えを相続し、繁昌させてほしい」という願いを込めて、讃岐の地にご消息を下されたのがはじまりです。

この「相続」という言葉には、お念仏の教えを聴聞するための道場(本山)を護持してほしいことと、私たちがお念仏の教えをよく聴聞し、それを次の世代に正しく伝えてほしいという願いが込められております。

そのため、ほとんどの時間が法話に充てられ、法話は一人20分の持ち時間で、複数の布教使が続けて行う形態になっています。僧侶にとっては布教使の育成の場となり、お参りさんにとっては一度に複数の先生のお話が聞ける、大変有り難い法座です。

現在は、各組の寺院を会所とした相続講と高松興正寺別院を会所とした相続講の年2回行われています。

今年は5月15日(金)にも第2組 常光寺様を会所に相続講を開催する予定でしたが、上述した新型コロナウイルス感染症の影響により、来年に延期されることになりましたこと、この場にてご報告させていただきます。

この日は朝から晴天に恵まれ、気温も暑過ぎず、寒過ぎず、とても気持ちのよい一日となり、35名ほどの参拝がありました。

午前10時に、法中とお参りさん全員で声を合わせて『讃仏偈』をお勤めし、開講となりました。

お勤め後、相続講委員長の髙松和範氏から挨拶がありました。挨拶の中で、今回の相続講開催に至った経緯や、お念仏の教えを相続することの難しさに触れられ、「今日聞いた先生のお話を、家に帰ってから、家族や友達にも伝えてあげてください」というお話をいただきました。

この日の法話講師は以下の3名です。
安藤 弘浄 師(円徳寺住職)
石本 桂芳 師(大行寺住職)
林 和英 師(覚善寺衆徒)
講師の選出は、各組に振り当てられており、今回は第3北組、第3南組、第4組から選出されました。

法話の後は、高松興正寺別院 輪番 柴田好政氏によるご消息披露がありました。
ご消息披露とは、本寂上人が下されたご消息の原文を皆さんの前で読み上げるものです。

ご消息披露の後は、東かがわ市 正行寺住職 赤松円心先生による復演がありました。復演とは、ご消息の心を皆さんに分かりやすくお伝えするための法話です。

先生は浄土真宗という仏道について、「一言で言えば、頭が下がる教えです」と、教えてくださいました。
私たちの日常を振り返ったとき、誰かに謝るときや、人に頼み事をするときなど、「頭を下げる」ことは多々ありますが、「頭が下がる」ことは、とても難しいことではないでしょうか。このような私たちの存在を仏教では「無明」と言い、『正信偈』の中では「邪見憍慢悪衆生」と説かれています。

それでは、私たちの「頭が下がる」のは、どんなときでしょうか?

それについて先生は、「本当に尊いもの、自分が到底、かなわないもの、自分が仰がずにはおられない世界に出遇ったときではないですか」と、教えてくださいました。

そのことについて先生は、世界的物理学者のアインシュタイン博士が1922年に来日された際、大谷派の近角常観先生と対談されたときのエピソードを紹介してくださいました。

アインシュタイン博士は、かねてより仏教に関心があり、対談の中で近角先生に「仏さまとはどういう方ですか?」と質問をされたそうです。

この質問に対して、近角先生は『姥捨て山』のお話をされたそうです。

その昔、ある貧しい村では、食い扶持を確保するために、家族が一定の年齢になると「山に捨てにいかなければならない」という掟があったそうです。ある家の息子は、その掟に従って、自分の母親を背中に乗せて、山道を進んでいきました。

その途中で息子は、背中に乗せた母親が何やら手に触れる木の枝を折っては、道に落としていたのに気がつきました。息子は「まさか自分が折った木の枝を目印にして、こっそりと家に帰ってこようとしているのではあるまいな」と、母親を疑いました。

だいぶ山奥に入り、辺りは暗くなってきました。足元には人骨が転がっており、烏の不気味な鳴き声がします。いよいよ、捨てる場所に到着したのです。

息子はそこで母親を降ろすと、母親の手に握り飯を押しつけて、立ち去ろうとしました。

そのとき、「せがれや。これでお別れじゃな。体を大事にな。お前が道に迷ってはいけないと思って、木の枝を落としておいた。それを辿って帰りなさい」という母親の声がしました。そして、息子が振り返ると、母親は両手を合わして、息子の帰りを見送ろうとしていたのです。

その姿を見た息子は、「わ~!」と泣き崩れ、大地に身を投げ出しました。

息子は両手をついて涙ながらに謝り、「さあ、おっかあ一緒に帰ろう。こんなところにおっかあを置いていけねえ。どんなお咎めがあっても構わねえ」と、再び母親を背負って家に連れて帰り、生涯、母親を大切にして暮らしました、というお話です。

近角先生は、「たとえ、いのちを落とそうとするときであっても、自分のことは一切顧みないで、わが子のことをひたすら案じ、心にかけるこの母親の姿。これこそがまことの大慈大悲の仏さまであります」と、アインシュタイン博士にお話をされたそうです。

涙を浮かべながらこのお話を聞かれたアインシュタイン博士は、帰国の際に「日本には仏教という温かく深い教えがあります。この教えに出遇えたことは、私にとって何にも勝るものでありました」と語られたそうです。

このお話にあった息子は、親を捨てようとしたそのときに、まことの親心に出遇い、そんな親を疑っていた自身の不実な心に気づかされ、そこで初めて「頭下がった」のです。

最後に先生は、「このお話の息子と同じように、仏さまを疑い背いているのが私たちの姿です。疑い背いているわが身を知らし、決して見捨てることなく、むしろ、背けば背くほど、深く憐みたまうのが仏さまの大悲のお心、本願の親心です。そこで初めて頭が下がる世界が開かれるのです」と、教えてくださいました。

とても臨場感溢れる温かいお話を賜り、お参りさんも赤松先生のお話に引き込まれているようでした。

復演の後は、相続講副委員長の林 浩明氏から挨拶があり、法中とお参りさん全員で『恩徳讃』を唱和して、12時過ぎに閉講となりました。

法話を長い時間、聞き続けるというのは、決して楽なことではありませんが、ほとんどの方が最初から最後までご聴聞してくださいました。先生のお話を聞き留めようと、熱心にメモを取りながらご聴聞される姿も見られました。

相続講委員9人の役職者には、本山大相続講に関する準備から片付けまでご協力いただきました。
この他、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に本山大相続講を勤めることができました。
この法座に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。