令和2年高松興正寺別院 報恩講 第三十世門主 本賢上人追悼法要

1月27日(月)昼座~29日(水)朝座まで、高松興正寺別院の報恩講が厳修されました。
今年は例年よりも気温が高く、天候も穏やかな日が続いていましたが、報恩講の数日前から天候が下り坂になり、初日は風雨となりました。2日目の午後からは次第に天候が回復し、最終日には青空が見られました。
3日間で延べ160人ほどの参拝があり、長覚寺様、第3北組様、第3南組様、正信寺様、正音寺様が団体参拝されました。

ご門主様ご親修のもと、27日昼座は『正信偈』(中拍子)、28日昼座は『十二礼文』(前半六礼)、29日朝座は『無量寿経』(四十八願)を正宗分にしたお勤めが行われました。
また、28日朝座は、ご門主様ご出仕のもと、香川組 教信寺住職の谷本俊彦氏が代理登壇を行い、『礼讃』(初夜偈)がお勤めされました。
各組から代表出勤を賜り、自由出勤と合わせて、各座15名を超える内陣出勤がありました。

今回の法要には、「今こそお念仏 ~時代を超えてつなぐ想い~」というテーマを掲げました。

本山の教化方針として、教化スローガンである「今こそお念仏-つなごうふれあいの輪」を第1期「今こそお念仏」、第2期「つなごう~○○と○○~」、第3期「ふれあい」、第4期「今こそお念仏-つなごうふれあいの輪」と、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年法要に向けて、1年ずつ4期に分けて考えていくことになりましたので、今年は第1期の「今こそお念仏」をメインテーマとし、そこに別院独自の副題を付ける形を考えました。

副題の「時代を超えてつなぐ想い」には、今回が令和最初の報恩講ということで、時代が変わっても大事な心がつながるように、そして、昔からみんなの想いが集まってできた形、本山興正寺をこれからもつないでいきたい、という2つの願いが込められています。

法話は、本山布教使 兵庫県神戸市 西教寺住職の谷口亮昭先生にお願いしました。

先生は「五濁悪時悪世界 濁悪邪見の衆生には 弥陀の名号あたへてぞ 恒沙の諸仏すすめたる」という親鸞聖人のご和讃を讃題に掲げられ、私たちのものの見方について、「『有り難い』から『当たり前』になってきているのではないですか。『当たり前』になってしまうと文句が出たり、愚痴がこぼれるのです。そのような私たちの心を今一度、『有り難い』に帰していく言葉、それが「南無阿弥陀仏」のお念仏ではないのでしょうか」ということを教えてくださいました。

また、親鸞聖人のご生涯を振り返りながら、「愚禿釈親鸞」という名のりに至るまでの過程や親鸞聖人の仏道における自力から他力への転換について、とても丁寧にお話してくださいました。

最終日には、突発性脱疽という難病で、幼くして両手両足を失うことになった中村久子さんについて紹介され、自分のことを自分でできるように厳しく躾けてくれたお母さんのこと、生活のために見世物小屋の芸人になったこと、結婚して子どもを設けるも間もなくして夫と死別されたことなど、数々のご苦労についてお話してくださいました。

そんな久子さんですが、見世物小屋を辞めて、41歳のときにヘレン・ケラーさんと対談したり、42歳のときに『歎異抄』に出遇ってからは、徐々に自分の人生を受け入れられるようになり、50歳頃からは執筆活動に励まれたり、講演で全国を回られるようになって、多くの方に勇気と感動を与えられました。

久子さんにとって、厳しいお母さんの躾けがあったお陰で自分のことを自分でできるようになり、また両手両足のない体があったからこそ、お念仏の有り難さに気づくことができたのでありましょう。

私たちは辛いとすぐに文句を言ったり、「つまらん、つまらん」と愚痴をこぼしながら虚しく過ごしていますが、久子さんのように、自分のすべてを『有り難い』と思える生をいただくことが本当の幸せなのであり、そのためにできることが「今こそお念仏」なのでありましょう。

28日と29日の朝座では、帰敬式が執り行われ、2日間で8人が受式されました。
帰敬式とは、仏・法・僧の三宝に帰依し、仏弟子としての名前「法名」をご門主様から頂戴する大切な儀式です。
一般に、法名は死んだときにいただくものと思われがちですが、真宗門徒として仏道を歩み出したとき、すなわち「今」からいただくことができます。
高松興正寺別院では、毎年、報恩講で帰敬式を実施しております。

28日のお昼前には、西光寺保育所から可愛らしい園児が参拝に来られ、仏さまのお歌や手遊びを披露してくれました。
可愛らしい園児の余興に、お参りさんは終始、顔がほころんでいました。

28日の昼座では、ご門主様から御親教を頂戴しました。ご門主様は、去る令和元年12月16日午後に95歳でご遷化された第三十世門主 本賢上人について、「人とのつながりを大切にされていた」ことを紹介され、在りし日の前門様を偲びつつ、長年のご教化に感謝されました。
また、参詣者に向けて、子や孫、今日来られなかった人に対して、お寺に参ってお念仏の教えを聞くことを勧めて欲しいと願われました。そして、核家族化に伴い、子や孫が暮らす住まいにお仏壇がないことを心配され、小さくても構わないので、子や孫が暮らす住まいにもお仏壇を迎えて欲しいと願われました。

この他、休憩時間には別院から甘酒も振る舞われました。
酒粕は塩上町にある有限会社 中屋醸造所様のご厚意によるものです。

報恩講に引き続いて、1月29日(水)昼座は、第三十世門主 本賢上人追悼法要が勤められました。
このお勤めは、高松興正寺別院にも、長い間、足を運んでくださり、多くの門信徒を教化された前門様のご遺徳を偲びたいという柴田輪番の思いから実現しました。

法要前には前門様の略歴が紹介され、ご門主様ご出仕のもと、『阿弥陀経』がお勤めされました。
お勤め中には、輪番、歴代輪番、責任役員、顧問、宗会議員、教務所長、坊守会会長、連合仏婦会長の呼び出し焼香も行われ、続いて、一般法中、一般参詣者もお焼香されました。

28日と29日のお昼は、おとき接待があり、正信寺・法専寺・光清寺・養福寺・円福寺・秀円寺の仏教婦人会の皆様が、そば・うどんを振る舞ってくださいました。

坊守会からは、会長の佐々木敬子氏、副会長の三好禎子氏をはじめ、第4組から2人、第5組から2人、綾北組から2人、第3南組から1人の坊守様が、3日間、ご門主様のお接待やおときの手伝いをしてくださいました。

今回の法要では、会行事 橘 正弘氏、副会行事 綾 浄慎氏をはじめ、維那、維那補、知堂、教化参拝、総勢29名が役職に就かれ、法要の準備から片付けまでご協力を賜りました。

この他、仏教婦人会の皆様、坊守会の皆様、お供物をくださった方など、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に高松興正寺別院 報恩講、ならびに第三十世門主 本賢上人追悼法要を勤めることができました。

この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。