令和元年高松興正寺別院 秋季永代経ならびに本山大相続講
11月11日(月)高松興正寺別院の秋季永代経ならびに本山大相続講が勤められました。この日は朝から強い雨が降ったり、止んだりの不安定な天候でしたが、午前、午後ともに70人を超える方がお参りくださいました。
午前10時から秋季永代経が勤められ、『阿弥陀経』を正宗分にしたお勤めが行われました。各組から代表出勤を賜り、第2組 法専寺住職の永井純信氏が法中登壇を行いました。代表出勤と自由出勤を合わせて、15名の内陣出勤がありました。
法話は本山布教使 中山町 妙楽寺衆徒 川田慈恵先生にお願いしました。
先生は、「人間はどこまでいっても他人の苦しみ、悲しみを分かってあげられない」という恩師の言葉を紹介され、人間は自分の思いで相手をはかる「有量の存在」だと教えてくださいました。
そのエピソードとして、大相撲の横綱 白鵬が2014年夏場所で、優勝したにもかかわらず優勝会見を開かなかった出来事を紹介されました。このことについて、世間やマスコミは不思議がって勝手な憶測で白鵬を批判しましたが、翌月に出された白鵬自身のブログで「実は場所中に私共の4人目の子が流産してしまったのです。ですから、何としても優勝したかったのです。しかし、妻の気持ちを考えると、とても会見には臨めませんでした。本当に申し訳ありませんでした」という旨の言葉が綴られ、それからは誰も何も言えなくなったというお話でした。
先生はこの出来事を受けて、「阿弥陀さまははかることをしない、「無量の存在」です。人間の本当のところは阿弥陀さまにしか分からないのです」と教えてくださいました。
また、ご門徒さんで毎朝食べているパンがたまたま用意できていなかったことで、夫婦喧嘩をしてしまい、そのまま仕事に出かけたご主人さんが、夕方、会社の裏でユンボの下敷きになって亡くなられたという、とても痛ましい出来事を紹介してくださいました。
後日、お寺に来られた奥様は、「私が朝に『気をつけて』の一言が言えていたら・・・」「口答えせずに素直に『ごめんね』と言えていたら・・・」とご自分を責められ、「主人はどこへ行ったのでしょうかね」と院主さんに尋ねられたそうです。これについて院主さんは、「『南無阿弥陀仏』を一緒に申していきませんか」としか言えなかったというお話でした。
たくさん仏教を学んでいるお坊さんですら、思うように声をかけられない苦しみ、悲しみがあることを教えてくださいました。
最後に『現世利益和讃』から、「一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなふれば 三世の重障みなながら かならず転じて軽微なり」というご和讃を紹介され、「私たちの苦しみ、悲しみをまるごと包み取ってくださるのは、阿弥陀さまだけです。お念仏は、私たちの苦しみ、悲しみを転じて、それをなくすのではなく、少しだけ軽くしてくださいます」という、お念仏の利益を教えてくださいました。
おときは、円福寺、秀円寺、長覚寺の仏教婦人会の皆さまが、うどんとバラ寿司を振る舞ってくださいました。また坊守会からは、佐々木敬子会長と役員1名の他、第3南組の坊守さん2名がお手伝いに来てくださいました。心のこもったおときに、お参りさんも法中も大変満足した様子でした。
おときの後は本堂係が教化参拝部から相続講委員へと引き継がれ、本山大相続講が開講しました。午後1時、法中とお参りさん全員で声を合わせて『讃仏偈』をお勤めしました。
お勤め後、相続講委員長の高松和範氏から挨拶がありました。そのなかで「今回の相続講は、令和1年11月11日午後1時開始と、大変、覚えやすく印象に残る相続講となりました」というお話をいただきました。
本山大相続講とは、文政11年(1828)4月6日に興正寺第27世 本寂上人が「親鸞聖人のお念仏の教えを相続し、繁昌させてほしい」という願いを込めて、讃岐の地にご消息を下されたのがはじまりです。
「相続」という言葉には、「お念仏の教えを聴聞するための道場(本山)を護持してほしい」ことと、「お念仏の教えをよく聴聞し、それを次の世代に正しく伝えてほしい」という願いが込められているそうです。
そのため、ほとんどの時間が法話に充てられ、法話は一人20分の持ち時間で、複数の布教使が続けて行う形態になっています。僧侶にとっては布教使の育成の場となり、お参りさんにとっては一度に複数の先生のお話が聞ける、大変有り難い法座です。
現在は、各組の寺院を会所とした相続講と高松興正寺別院を会所とした相続講の年2回行われています。
この日の法話講師は以下の3名です。
橘 正弘 師(勝光寺住職)
灘岡 正則 師(養福寺衆徒)
綾 浄慎 師(正蓮寺住職)
講師の選出は、各組に振り当てられており、今回は香南組、香川組、綾北組から選出されました。
法話の後は、高松興正寺別院 輪番 柴田好政氏によるご消息披露がありました。
ご消息披露とは、本寂上人が下されたご消息の原文を皆さんの前で読み上げるものです。
ご消息披露の後は、坂出市 西園寺前住職 田中光海先生による復演がありました。復演とは、ご消息の心を皆さんに分かりやすくお伝えするための法話です。
先生は「終活」について切り出され、「終活は墓じまいや葬儀の準備をすることではありません。本当の終活とは、『私の人生はよかった』と言えるか否かです」と教えてくださいました。
そして、死を意識する人間には、①残しているものに対する執着心、②死にたくないという思い、③死んだらどうなるのかという不安、という3つの苦しみがあることを紹介され、これらの苦しみを超えていく道が仏教だと教えてくださいました。
仏教を説かれたお釈迦さまは、四門出遊の伝説にもあるように、修行僧に出遇ってから死で終わる人生を超えていく道を求められ出家されたのです。そして、それを発見されブッダに成られたのです。ですから、仏教を聞いたならば、結核により34歳の若さで亡くなった俳人 正岡子規のように、いついかなるときも平気で、死の瞬間まで喜べる道が開かれてくるのでありましょう。
また先生は、2008年に公開された映画『おくりびと』のなかで、火葬場の炉を管理する職員の「死は門である」というセリフを紹介され、「死は終わりではありません。死の門をくぐって、そこからまたお浄土での「いのち」が始まるのです。それを『往生(往き生まれる)』と言います」と、教えてくださいました。
それから先生は、往生の大切な点として、「再会」を挙げられました。
これについて先生は、戦争で若くしてご主人を亡くされたおばあさんが、ふと「あの人は私のことを忘れたんやろかね。なかなか迎えに来てくれん」と呟いたエピソードを紹介され、「このおばあさんは、『お浄土でまたご主人に会いたい』という気持ちでいっぱいです。ですから、死を否定的には捉えていません。そこには『また会える』という喜びがあるのではないでしょうか」と、教えてくださいました。
最後に『親鸞聖人御消息』から、「浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし」という言葉を紹介され、お話を締めくくられました。
復演の後は、相続講副委員長の林 浩明氏から挨拶があり、法中とお参りさん全員で『恩徳讃』を唱和して、午後3時に閉講となりました。
朝から長時間にわたる法要でしたが、ほとんどの方が最初から最後までご聴聞されていました。お経本を見ながら法中と一緒に声を出してお勤めされる姿や、先生のお話を聞き留めようと、熱心にメモを取りながらご聴聞される姿も見られました。
知堂8人、教化参拝8人の役職者には、法要準備から午前中の秋季永代経までご協力いただきました。相続講委員10人の役職者には、午後の本山大相続講から法要の片付けまでご協力いただきました。
この他、おときの接待をしてくださった仏教婦人会の皆さま、坊守会の皆さまなど、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に秋季永代経ならびに本山大相続講を勤めることができました。
この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。