平成29年 高松興正寺別院 報恩講ならびに東讃教区 追悼法要

1月25日(水)昼座~27日(金)朝座まで、高松興正寺別院の報恩講が厳修されました。法要の数日前には全国的な寒波に見舞われましたが、法要期間中は気温も落ち着き、晴天にも恵まれました。3日間で延べ190人近くの参拝があり、長覚寺様、第3北組様、第3南組様、正信寺様、正音寺様が団体参拝されました。

ご門主様ご親修のもと、25日昼座は『正信偈』(中拍子)、26日朝座は『無量寿経』、昼座は『正信偈』(墨譜)、27日朝座は『観無量寿経』を正宗分にしたお勤めが行われました。各組から代表出勤を賜り、自由出勤と合せて、各座15名ほどの内陣出勤がありました。

法話は本山布教使 特設中央教区福井県 浄信寺衆徒の北岑大至先生をお招きし、今回の法要テーマである「南無 よりかかる」ということについてのお話を頂戴しました。
先生は、南無には(1)至る、(2)帰説(きせつ)、(3)帰説(きぜい)という3つの意味があり、3番目の帰説には、親鸞聖人が「よりかかる」という左訓を施しておられることを教えてくださり、「わが家のように安心してよりかかることができる」阿弥陀様の願いが確かにあることの有り難さを教えてくださいました。また先生は、カエルが船に乗ってゆったり昼寝をしている絵がデザインされた今回の法要ポスターにも触れられました。このポスターは、教化参拝部の中原大道氏が制作したもので、カエルが心から船を信頼し、水の上でも不安を持たず、安心して身を任せ切っている姿とも取れますし、船のおかげで自分が水の上に浮かべていることを忘れたカエルが、得意げに横になっている姿とも取れるそうです。この絵を受けて先生は、「手をついて 頭の下がらん かえるかな」という歌を紹介されました。カエルはまさに私たちのあり方そのものだなと考えさせられました。先生はとても分かりやすい語り口調で、お参りさんも知らず知らずのうちに先生の話に引き込まれている様子でした。

この他、26日朝座後には帰敬式があり、今回は3人が受式されました。
帰敬式とは、仏・法・僧の三宝に帰依し、仏弟子としての名前「法名」をご門主様から頂戴する大切な儀式です。一般に、法名は死んだときにいただくものと思われがちですが、真宗門徒として仏道を歩み出したとき、すなわち「今」からいただくことができます。京都の本山興正寺では、春の法要(4月)と報恩講(11月)のときに帰敬式を行っておりますし、高松興正寺別院でも、毎年、報恩講では帰敬式を行っております。

報恩講の締めくくりである27日朝座後には、西光寺保育所から可愛らしい園児が参拝に来られ、仏さまのお歌や手遊びを披露してくれました。可愛らしい園児の余興に、お参りさんは終始、顔がほころんでいました。

26日と27日のお昼は、おとき接待があり、重蓮寺・正信寺・光清寺・相念寺・靭庵・円福寺の仏教婦人会の皆様が、そば・うどんを振る舞ってくださいました。
また、法要の休憩時間には、別院から甘酒も振る舞われました。坊守会からは、佐々木敬子会長、三好副会長をはじめ、第5組から3人、綾北組から2人、綾南組から2人の坊守さんが、3日間、ご門主のお接待やおときの手伝いをしてくださいました。

報恩講に引き続いて、1月27日(金)昼座は、東讃教区の追悼法要が勤められました。これは教区内の法中、坊守さんの追悼法要で、現在は隔年で行われています。今回は平成27年から後に亡くなられた方が対象で、ご門主様ご出仕のもと、6名の内陣出勤を賜り、『阿弥陀経』がお勤めされました。お経中に遺族が焼香され、興隆正法の任を全うされた教区の先達を偲びました。

今回の法要では、会行事 佐々木安徳氏、副会行事 楠 哲慧氏をはじめ、維那、維那補、知堂、教化参拝、総勢30名が役職に就かれ、法要の準備から片付けまでご協力を賜りました。この他、仏教婦人会の皆様、坊守会の皆様、お供物を準備してくださった皆様など、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に高松興正寺別院 報恩講ならびに東讃教区 追悼法要を勤めることができました。
この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。