令和7年 本山大相続講 会所:第三南組 慈照寺

5月20日(火)午前10時~正午まで、第三南組の由良町 慈照寺において、本山大相続講が勤められました。

本山大相続講とは、文政11年(1828)4月6日に興正寺第27世 本寂上人が「親鸞聖人のお念仏の教えを相続し、繁昌させてほしい」という願いを込めて、讃岐の地にご消息を下されたことがはじまりです。

この「相続」という言葉には、お念仏の教えを聴聞するための道場(本山)を護持してほしいことと、私たちがお念仏の教えをよく聴聞し、それを次の世代に正しく伝えてほしいという願いが込められております。

時代とともに法座の形態は変わってきましたが、現在は春に東讃教区各組を会所とし、秋には高松興正寺別院において勤められております。
法話は一人15分程度の持ち時間で、複数の布教使が行います。

午前10時に、僧侶とお参りさんで一緒に声を合せて、『讃仏偈』をお勤めし、開講となりました。
その後、相続講委員長の辻 仁龍氏(由良町 蓮勝寺住職)から挨拶があった後、早速、法話に入りました。

この日の法話講師は以下の3名です。

川田 慈恵 師(妙楽寺住職)
田中 慶一 師(西園寺住職)
福家 秀徳 師(長楽寺住職)

法話の後は、慈照寺住職 秋山和信氏によるご消息披露が行われました。
ご消息披露とは、本寂上人のご消息を代読させていただく作法です。
原本は扱い方が難しい巻物である上、昔の言葉や専門用語が多く使われております。

そのため、ご消息披露の後は、復演と言う、ご消息の心を分かりやすくお伝えするための法話を行います。
今回の復演は、本山布教使 東かがわ市 正行寺住職の赤松円心先生でした。

赤松先生は、「このご消息は興正寺第27世 本寂上人が、相続講に参る人たちに宛てたお手紙です」と押さえられ、「南無阿弥陀仏」の心についてお話くださいました。

「南無阿弥陀仏」のことを名号と言いますが、先生は「名」の字を薄暗い夕方に、自分がいることを遠くの相手に伝えるために「名のりを上げる」意味だと教えてくださいました。

そして、「号」の字の旧字には、横に「虎」の字が入っていることに注目され、「号」には「大声で叫ぶ」という意味があることを教えてくださいました。

つまり、「南無阿弥陀仏」の名号は、阿弥陀さまの名のりであり、喚び声ということです。

これについて先生は、「井戸のぞく 子にありたけの 親の声」という歌を紹介され、「『危ない!』と声を上げて一目散に子を助けに向かうのが親のはたらきです」と仰り、そのことを親鸞聖人は「本願招喚の勅命」といただかれたことを教えてくださいました。

また、「呼び声」と「喚び声」の違いにも言及され、「呼び声」は「遠くのものをよぶ」ときに使い、「喚び声」は「私のそばで寄り添ってよぶ」ことだと教えてくださいました。

井戸を覗く子が助かったのは、親の喚び声が聞こえたときです。先生はそれを「聞即信」と教えてくださいました。

また、病院で薬の用意ができたときに名前を呼ばれることを例に出され、「いただく薬が信心です。名前を呼ばれたら返事をします。返す言葉は『南無阿弥陀仏』です」と仰り、そのことを蓮如上人は「御恩報尽の念仏」といただかれたことを教えてくださいました。

最後に運動会の徒競走で転んだ子どもを例に出され、「転んでも走るのをやめないのは、周りの応援のお陰です。喚び声が力になるのです」と仰り、「『南無阿弥陀仏』は死んでからではありません。今を生きるこの私が受け取るものです。ゴールには先生が待っています。私たちも人生をまっとうしたときには、如来さまに抱き取られるのです」といただかれました。

そして、「『南無阿弥陀仏』の喚び声を力に、誰にも代わってもらえないこの人生をまっとうしていくのが浄土真宗にご縁をいただいた者の姿です」と締めくくられました。

その後、相続講副委員長の千葉亮正氏(出作町 安養寺)より挨拶があり、『恩徳讃』を唱和して閉講となりました。

この日は境内に、うどんやまびこ屋さんのキッチンカーを招かれており、お昼にうどんと山翠さんのおにぎりが振る舞われました。心温まるお接待に、皆様、とても満足されている様子でした。

準備から後片付けまで、慈照寺門信徒の皆様、第三南組の皆様、相続講委員の皆様のご協力を賜り、無事に本山大相続講を勤めることができました。

この法座に携わったすべての方に、厚く御礼を申し上げます。



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