令和6年 高松興正寺別院 秋季永代経ならびに本山大相続講

10月11日(金)高松興正寺別院の秋季永代経ならびに本山大相続講が勤められました。この日は素晴らしい晴天に恵まれ、午前、午後ともに40人ほどの方がお参りくださいました。

午前10時から秋季永代経が勤められ、『阿弥陀経』を正宗分にしたお勤めが行われました。各組から代表出勤を賜り、第3北組 清光寺住職の林 浩明氏が法中登壇を行いました。代表出勤と自由出勤を合わせて、15名の内陣出勤がありました。

法話は本山布教使 中山町 妙楽寺住職 川田慈恵先生にお願いしました。
先生は、「無量寿如来に帰命し 不可思議光に南無したてまつる」という『正信偈』の言葉を讃題に掲げられ、「阿弥陀さまの願い」について、様々な角度からお話してくださいました。

先生は定期的に健康診断を受けられているそうですが、この度は「身長がなぜか3cm伸びた」というお話をしてくださいました。なぜだか原因が分からないそうです。

このことを受けて、メモリに注目され、「1cmという長さはどこの地域でも同じ長さですが、心のメモリはどうですか?」と問いかけられました。
心のメモリは、そのときの自分の心境によって長さが変わってしまうものです。
先生はそれを「迷い」と仰って、迷いを信じることを「迷信」と押さえてくださいました。

これに対して、浄土真宗は「宗教」だと教えてくださいました。宗教は教えを宗(中心)とする生き方です。

浄土真宗のご本尊は阿弥陀さまですが、仏さまに成られる前の位を法蔵菩薩と言います。

先生は「五劫思惟之摂受」という『正信偈』の御文を出され、私たちを漏らさず救うために「五劫」という、気の遠くなるような長い時間をかけて思惟された法蔵菩薩のご苦労を回想されました。

そして、法蔵菩薩は四十八の願いをすべて成就されて、阿弥陀仏に成られます。

仏像には色んなお姿がありますが、浄土真宗のご本尊は、お立ちになっており、軽く前に傾いておられます。
これは「私たちのことを心配で、救わずにはおれない」という、大悲のお心を表しているそうです。

そして、右手を上げておられるのは、私たちを呼び続けてくださるお姿。
左手を下げておられるのは、「摂取不捨の救い」を表すお姿だと教えてくださいました。

摂取不捨について、親鸞聖人は「一度、取ったものを捨てないこと」と、「逃げる者を追わえ取る」という、二つの受け止めをされていることを教えてくださいました。

先生はまた、浄土真宗の法要では「朱ローソク」を使うことに注目され、それはなぜかと訪ねられました。

お経は「お釈迦さまが生きている人間に対して、仏さまの救いを説かれたもの」であり、「死んだ人のために読むものではありません」と押さえられ、浄土真宗のお経には、「阿弥陀さまが私たちをどれほどに救わんと願って仏さまになってくださったか」という、阿弥陀さまの願いが説かれていることを教えてくださいました。

浄土に生まれることを往生と言いますが、先生は「浄土は楽ではないですよ」と指摘されます。
なぜなら、浄土に生まれた人は、仏さまと成って、仏さまのはたらきとして還ってくるからです。

「お盆の期間中だけご先祖が帰ってくる」と考える宗派もありますが、浄土真宗は、お盆に限らず、お念仏を申すとき、いつでも還ってきてくださいます。
それは、私がいつでも仏さまから願われているということです。
そのことを喜ばせていただくことが、「朱ローソク」を使うことの意味だと教えてくださいました。

また、『正信偈』については、阿弥陀さまの教えをお釈迦さまから、七人の高僧方を通して、今日の私に届いてきたお念仏の歴史が書かれており、それを讃える歌だと教えてくださいました。

永代経は、亡くなった方を偲ぶとともに、私たちが教えに出遇うことができたことを喜び、つながれてきたご縁を子や孫の世代まで伝えていく法要であります。

そして、「聴聞は、私の願いを聞いてもらうことではなく、阿弥陀さまから私のいのちにかけられた願いを聞いていくことです」と、力強くお話くださいました。

お昼は、東讃教区連合仏教婦人会様(重蓮寺、秀円寺、正信寺、長安寺、養福寺、法専寺)のご厚意で、うどんとバラ寿司の接待がありました。

また、東讃教区坊守会様からも第1組の坊守3名がお手伝いに来てくださいました。

心温まるおときをいただき、法中もお参りさんも大変満足された様子でした。

おときの後は本堂係が教化参拝部から相続講委員へと引き継がれ、本山大相続講が開講しました。
午後1時、法中とお参りさん全員で声を合わせて『讃仏偈』をお勤めしました。

お勤め後、相続講委員長の辻 仁龍氏から挨拶がありました。

本山大相続講とは、文政11年(1828)4月6日に興正寺第27世 本寂上人が「親鸞聖人のお念仏の教えを相続し、繁昌させてほしい」という願いを込めて、讃岐の地にご消息を下されたのがはじまりです。

「相続」という言葉には、「お念仏の教えを聴聞するための道場(本山)を護持してほしい」ことと、「お念仏の教えをよく聴聞し、それを次の世代に正しく伝えてほしい」という願いが込められているそうです。

そのため、ほとんどの時間が法話に充てられ、法話は一人15分の持ち時間で、複数の布教使が続けて行う形態になっています。お参りさんにとっては一度に複数の先生のお話が聞ける、大変有り難い法座です。

現在は、各組の寺院を会所とした相続講と高松興正寺別院を会所とした相続講の年2回行われています。

この日の法話講師は以下の3名です。
藤原 友則 師(第4組 浄正寺住職)
安本 正貴 師(第5組 正信寺住職)
藤澤 照雄 師(香南組 円照寺住職)
講師の選出は、各組に振り当てられており、今回は第4組、第5組、香南組から選出されました。

その後、松尾修浄輪番によるご消息披露が行われました。
ご消息披露とは、本寂上人のご消息を代読させていただく作法です。

ご消息披露の後は復演と言う、ご消息の心を分かりやすくお伝えするための法話が行われました。

今回の復演は、西植田町 勝名寺前住職の柴田好政先生にお願いしました。

先生は、「人生はたまたまの連続です」と切り出され、親鸞聖人も法然上人とたまたま出遇うことができたことを回想されました。

親鸞聖人が法然上人のもとで学ばれたことは、ただ「南無阿弥陀仏」と申すことで、すべての者が救われるという教えでした。なぜなら、それが阿弥陀さまの願いだからです。

そして、親鸞聖人にお念仏を教えられた法然上人ご自身は、中国の善導大師の言葉に学ばれたということで、「煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば すなはち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ」という『高僧和讃』善導讃を掲げられました。

先生は「人々が自分の利益を求めている姿は、見せかけの信心です」と仰り、「信知」とは「教えを聞いて、自分のものとすることで、浄土の信を開くことです」と教えてくださいました。

そして、『歎異抄』の「他力真実のむねをあかせるもろもろの聖教は、本願を信じ、念仏もうさば、仏になる」という言葉を出され、この言葉には「教行信証」が詰まっていることを教えてくださいました。

先生はかかりつけ医と薬を例に出され、「医師の言葉を信じて、あなたのために用意された薬を飲み切ることです」と教えてくださいました。

信じる心すら持っていない、疑い心ばかりの私たちですが、「それでも構わない」と、阿弥陀さまが救いの手立てを用意してくださっているのです。

それが六字の名号「南無阿弥陀仏」だと教えてくださいました。

そして、「信じる」ことは、私が信じるのではなく、阿弥陀さまのほうから「頼むから六字の妙薬を飲んでくれよ。信じてくれよ」と、頼んでくださっていることだと教えてくださいました。

また、聴聞の大切さについて、「そのかごを水につけよ」という蓮如上人の言葉を出され、かごを水から出すことなく、仏法を聞き続けることの大切さを教えてくださいました。

そして、「六字の妙薬を飲んで、間違いなく終わっていくいのちに向かってどのように生きていくのか。仏法を今、聞くことが、今幸せになる道ではないですか」と締めくくられました。

最後に、松尾修浄輪番より挨拶があり、『恩徳讃』を唱和して閉講となりました。

朝から長時間にわたる法要でしたが、ほとんどの方が最初から最後まで聴聞されていました。経本を見ながら法中と一緒に声を出してお勤めされる姿や、熱心にメモを取りながら聴聞される姿も見られました。

維那2名、知堂4名、教化参拝5名の役職者には、法要準備から午前中の秋季永代経までご協力いただきました。相続講委員8名の役職者には、午後の本山大相続講から法要の片付けまでご協力いただきました。

この他、おときの接待をしてくださった仏教婦人会の皆さま、坊守会の皆さまなど、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に秋季永代経ならびに本山大相続講を勤めることができました。

この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。



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