令和6年 高松興正寺別院 報恩講

1月24日(水)昼座~26日(金)朝座まで、高松興正寺別院の報恩講が厳修されました。
この週は全国的な寒波に見舞われ、大変、冷え込みが厳しい中での法要となりましたが、3日間で延べ100人ほどの参拝がありました。

ご門主様ご親修のもと、25日昼座は『十二礼文』(前半六礼)、26日朝座は『観無量寿経』(三節目)を正宗分にしたお勤めが行われました。
また、ご門主様ご出仕のもと、24日昼座は『正信偈』(墨譜)、25日朝座は『礼讃』(日没偈)がお勤めされました。
24日昼座の勤行後は、「御俗姓法章」が行われ、蓮如上人が書かれた『御俗姓』を第3南組 蓮勝寺住職の辻 仁龍氏が拝読しました。『礼讃』は、第4組 徳泉寺住職の寺内淳聴氏が登壇し、導師を務めました。

朝座・昼座の4席は、各組より代表出勤を賜り、自由出勤と合わせて各座15名ほどの内陣出勤がありました。

25日のお昼前には、西光寺保育所様から可愛い園児が来院し、お参りさんに向けて歌や手遊びを披露してくれました。

その後、お斎の接待が実施され、東讃教区連合仏教婦人会様のご協力により、しっぽくうどん・そばと、おにぎり、しょうゆ豆が振る舞われました。心温まるお斎の接待に、お参りさんも法中も大変満足された様子でした。

24日昼座には、帰敬式が執り行われ、2人が受式されました。
帰敬式とは、仏・法・僧の三宝に帰依し、仏弟子としての名前「法名」をご門主様から頂戴する大切な儀式です。
一般に、法名は死んだときにいただくものと思われがちですが、真宗門徒として仏道を歩み出したとき、すなわち「今」からいただくことができます。真宗興正派では、生前に帰敬式を受けることを推奨しており、本山の法要や別院の報恩講などで帰敬式を受けることができます。

25日朝座には、ご門主様から御親教を頂戴しました。ご門主様からは、昨年4月に厳修された本山興正寺 慶讃法要が無事に勤められたことを感謝するお言葉や、これからもともに聞法してまいりましょうというお言葉を賜りました。

法話は、本山布教使 観音寺市 一心寺住職の香川正修先生にお願いし、今回の法要テーマである「やっぱり阿弥陀さん-聞こう、私に届いたその願い」についてお話してくださいました。

先生は「十方諸有の衆生は 阿弥陀至徳の御名をきき 真実信心いたりなば おほきに所聞を慶喜せん」という親鸞聖人のご和讃を讃題に掲げられ、阿弥陀さまの願いを聞くことの大切さについて教えてくださいました。

先生はまず、今年の正月に起こった能登半島地震、そして、羽田空港の飛行機衝突事故を痛まれ、皆さんと一緒にお念仏を申されました。

震災や事故もその通りですが、苦しみの最たる例として、「生老病死」について教えてくださり、自らの「生老病死」は、すべて思い通りにはならないことを教えてくださいました。

その中で、東日本大震災のボランティアとして有志の僧侶が向かったとき、たくさんの方から「お経をあげて欲しい」と頼まれたお話をしてくださいました。先生はお経の声について、「お坊さんの声ではなく、仏さまの声として聞くから有り難いのではないですか」と指摘され、有限を超えた、大きなはたらきに身を委ねることの大切さについて教えてくださいました。

また、ある医師の「老化しても健やかである生き方を求めるべきである」「幸いに私たちは先人たちの無数の生き方のモデルを求めることができる」という言葉を紹介してくださり、このモデルこそが一筋の光となることを教えてくださいました。無数の生き方のモデルを訪ねることが、私たちにとっては親鸞聖人の生き方を訪ねることであり、ご聴聞ということでありましょう。

その親鸞聖人が歩まれた浄土真宗の仏道について、先生は「念仏ただ一つ」と押さえられ、色んな種類の念仏がある中で、殊に「阿弥陀至徳の願いが叶った念仏」だと教えてくださいました。

阿弥陀さまの願いを本願と言いますが、その第一願では、「浄土には、地獄・餓鬼・畜生が存在しない」という「無三悪趣の願」が説かれています。先生は、地獄を怒り、餓鬼を貪り、畜生を無知と押さえられ、まさに私自身の姿だと痛まれました。

このような私に対して、阿弥陀さまがはたらきかけてくださっているのです。

また先生は、「名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ」という、親鸞聖人の言葉を紹介され、私の志願と阿弥陀さまの願いが重なっていくことを教えてくださいました。

浄土とは、誰かと比べて苦しむ世界ではなく、それぞれの違いを認め合っていく世界ということで、フランス料理の「まぜる」と日本料理の「あえる」の違いであったり、金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』という詩を紹介してくださいました。自分勝手に生きる私たちでありますが、心の奥底では、誰もが「浄土に生まれたい」と願っているのです。

また、人との「違い」について、先生は科学の面からも注目され、人間のヒトゲノムは99.9%が同じで、たった0.1%の違いが、顔や能力など様々な違いになっていることを教えてくださいました。

賜ったいのち、ご縁によって成り立ついのち、生死するいのちは、みんな同じなのです。

娑婆では様々な違いがあれど、阿弥陀さまにとってみれば、一人ひとりが可愛い仏の子なのです。したがって、阿弥陀さまの願いは、私たちに平等にかけられているわけです。

最後に親鸞聖人の「自然といふは、もとよりしからしむといふことばなり」という『末燈鈔』の言葉を紹介され、お念仏申す人を浄土に帰していく阿弥陀さまの大きなはたらきは、私のはからいを超えて、そうなるものとして、もとよりあることを教えてくださいました。

南無阿弥陀仏の御名を聞き、ともに教えを喜ばせていただくこと。それが「やっぱり阿弥陀さん-聞こう、私に届いたその願い」という歩みになることを教えていただきました。

今回の法要では、会行事 小松正秦氏、副会行事 辻 仁龍氏をはじめ、維那、維那補、堂掌、知堂、教化参拝、総勢26名が役職に就かれ、法要の準備から片付けまでご協力を賜りました。

この他、東讃教区坊守会の皆様、東讃教区連合仏教婦人会の皆様など、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に高松興正寺別院 報恩講を勤めることができました。

この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。