令和5年 高松興正寺別院 秋季永代経ならびに本山大相続講
10月11日(水)高松興正寺別院の秋季永代経ならびに本山大相続講が勤められました。この日は素晴らしい晴天に恵まれ、午前、午後ともに60人ほどの方がお参りくださいました。
午前10時から秋季永代経が勤められ、『阿弥陀経』を正宗分にしたお勤めが行われました。各組から代表出勤を賜り、第5組 大乗寺住職の中原大道氏が法中登壇を行いました。代表出勤と自由出勤を合わせて、17名の内陣出勤がありました。
法話は本山布教使 御厩町 専光寺住職 佐々木安徳先生にお願いしました。
先生は、「本願を信じ念仏もうさば仏になる」という『歎異抄』の言葉を讃題に掲げられ、「本願を聞く」ということについて、様々な角度からお話してくださいました。
まず、先日1周忌を迎えた先生の後輩の方から以前勧められていた『沈黙の宗教-儒教』加地伸行著という本を紹介され、「宗教の本質は死生観である」と教えてくださいました。
宗教は「なぜ生まれて、なぜ死んでいくのか」という問いを語りかけ、この私を根底から支えてくれる教えです。
死生観については、民族によって異なります。儒教では「草葉の陰」と言い、死者をこの世に捉えます。インドでは「輪廻転生」と言い、生まれ変わりを説きます。
先生は「日本人はそのいいところをうまく取り入れています」と指摘され、葬式についても「火葬、土葬、水葬、風葬」と、色んな考え方があることを教えてくださいました。
「本願を聞く」ということですが、先生は「願いは持つものではなく、聞くものです」と指摘され、先生が若い頃に80歳の方から聞いた「煩悩があったお陰で今日まで退屈しなかった。有り難い」という言葉を回想されました。
先生は、「私たちは幸せを求めて、損得で行動を判断し、特に目的もなく生きています」と指摘され、仏教は「人生は苦なり」から始まることを教えてくださいました。
生まれたことが苦の始まりということで、五蘊盛苦(ごうんじょうく)という、体が健康であることさえも様々な苦しみを生み出すことを教えてくれるのが仏教です。
また、大切な方と別れる愛別離苦(あいべつりく)について先生は、「その時々の私を証明してくださる存在がいなくなるのが死別です」と示され、この身が終わってからも語り継がれるいのちと、自分のすべてが忘れ去られるいのちがあることを教えてくださいました。
先生は「それが良い悪いではなく、その事実を知り、自分の死生観を明らかにしましょう」と仰います。
また、いのちについて先生は、ある小学生の男の子が曾祖母の死をきっかけに、この曾祖母がいなければ、自分は生まれていないことに気づき、いのちのつながりを実感したエピソードを紹介され、「願いを聞き続けることは、無量寿のいのちに気づくこと」だと教えてくださいました。
そして、仏とは「自覚 覚他 覚行窮満(かくぎょうぐうまん)」の存在だと示され、私が仏に「手を合わせる」という意識から、自然と「手が合わさった」という、受け止めの展開についてお話してくださいました。
その例えとして、姑と折り合いが悪く、子を連れて家を飛び出したお母さんが、実母は結婚するまでの付き合いであるのに対して、姑とは死ぬまでの付き合いということに気づき、「姑を本当の母として、もっと遠慮なく接しよう」と決意されたお話を紹介してくださいました。
その後、この親子の関係は良好に向かい、姑は亡くなるときに「恩返しはできないけれど、死んだらお浄土からあなたを見守っているよ」と言ってくれたそうです。
最後に「浄土にてかならずかならず まちまいらせそうろうべし」という親鸞聖人の『末燈抄』の言葉にて、締め括られました。
先生はよく「この歳になると、昔に聞いた言葉が、ふと思い出される」と仰います。
目の前の損得に一喜一憂する私たちですが、「南無阿弥陀仏」のお念仏の背景に、私の手を合わせてくださる願い、はたらきがあるということ、そして、大切な方と死別したとしても、確かなつながりを実感できることを教えてくださいました。
お昼は、東讃教区連合仏教婦人会様(長覚寺、秀円寺、重蓮寺、正信寺、養福寺、法専寺)のご厚意で、うどんと炊き込みご飯の接待がありました。
仏教婦人会様におかれましては、お手伝いに加えて、バス2台にてお参りさんも連れて来てくださり、多大なご尽力をいただきました。
また、東讃教区坊守会様からも第3南組の坊守4名がお手伝いに来てくださいました。
とても心温まるおときをいただき、法中もお参りさんも大変満足された様子でした。
おときの後は本堂係が教化参拝部から相続講委員へと引き継がれ、本山大相続講が開講しました。
午後1時、法中とお参りさん全員で声を合わせて『讃仏偈』をお勤めしました。
お勤め後、相続講委員長の林 浩明氏から挨拶がありました。
本山大相続講とは、文政11年(1828)4月6日に興正寺第27世 本寂上人が「親鸞聖人のお念仏の教えを相続し、繁昌させてほしい」という願いを込めて、讃岐の地にご消息を下されたのがはじまりです。
「相続」という言葉には、「お念仏の教えを聴聞するための道場(本山)を護持してほしい」ことと、「お念仏の教えをよく聴聞し、それを次の世代に正しく伝えてほしい」という願いが込められているそうです。
そのため、ほとんどの時間が法話に充てられ、法話は一人15分の持ち時間で、複数の布教使が続けて行う形態になっています。お参りさんにとっては一度に複数の先生のお話が聞ける、大変有り難い法座です。
現在は、各組の寺院を会所とした相続講と高松興正寺別院を会所とした相続講の年2回行われています。
この日の法話講師は以下の2名です。
田中 慶一 師(綾北組 西園寺住職)
小松 正導 師(綾南組 法専寺衆徒)
講師の選出は、各組に振り当てられており、今回は綾北組、綾南組から選出されました。
お二方の法話の後は、お楽しみとして、寄鍋亭築話さんによる落語が披露されました。
『お血脈』という、信州 善光寺が売り出した御印を巡る演目を披露され、楽しく聞かせていただきました。
善光寺が売り出した御印により、みんなが極楽に往生してしまい、不景気になった地獄で緊急会議が開かれるというユニークなお話でした。
その後、柴田好政輪番によるご消息披露が行われました。
ご消息披露とは、本寂上人のご消息を代読させていただく作法です。
ご消息披露の後は復演と言う、ご消息の心を分かりやすくお伝えするための法話が行われました。
今回の復演は、東かがわ市東山 正行寺住職の赤松円心先生にお願いしました。
なんと、先ほどの落語家さんです。先生はボランティアで落語家の活動もされています。
先生は、「浄土真宗の教えを正しく受け止めて欲しい」という、ご消息が出された目的を端的に示され、具体的には、「私たちを救い取る」と誓われた阿弥陀さまの願い、「南無阿弥陀仏」の六字の姿を心得ることの大切さを教えてくださいました。
親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」について、「本願招喚の勅命」として受け止められ、先生は「お念仏は阿弥陀さまが私たちを必ず救うという喚び声です」と教えてくださいました。
先生は「必」という字にも注目され、『正信偈』だけでも5回使われており、そのすべてが「阿弥陀さまのはたらきに対して使われている」と指摘されます。
煩悩の身を生きる私にかけられた喚び声。先生は「いただいたものは、いただいたものでお礼を言うのです。私に対する喚び声も、確かに受け取ったお礼の声も、両方が『南無阿弥陀仏』です」と教えてくださいました。
最後に、東日本大震災のときに、南三陸町の防災無線にて、最後まで町民に避難を呼びかけ、津波に飲み込まれてしまった職員さんのお話がありました。
その一人、遠藤未希さんの葬儀のときには、「あの声に助けられた」と、たくさんの方が涙を流したそうです。
そして、足利義山先生の「はかりなき いのちのほとけましまして われをたのめとよびたまふなり」という歌で締め括られました。
最後に、相続講副委員長の辻 仁龍氏より、挨拶があり、『恩徳讃』を唱和して閉講となりました。
朝から長時間にわたる法要でしたが、ほとんどの方が最初から最後まで聴聞されていました。経本を見ながら法中と一緒に声を出してお勤めされる姿や、熱心にメモを取りながら聴聞される姿も見られました。
維那2名、知堂7名、教化参拝7名の役職者には、法要準備から午前中の秋季永代経までご協力いただきました。相続講委員10名の役職者には、午後の本山大相続講から法要の片付けまでご協力いただきました。
この他、おときの接待をしてくださった仏教婦人会の皆さま、坊守会の皆さまなど、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に秋季永代経ならびに本山大相続講を勤めることができました。
この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。