令和5年 高松興正寺別院 夏まいり

7月11日(火)午前10時より、高松興正寺別院の夏まいりが勤修されました。

梅雨の最中でしたが、この日は素晴らしい晴天に恵まれました。
その一方で気温がぐんぐん上がり、とても暑い中の法要でしたが、30名ほどの方が参拝してくださいました。

午前10時より、『正信偈』(中拍子)をお参りさんと声を合わせてお勤めしました。
この日は9名の内陣出勤があり、副輪番の松尾修淨氏が導師を務めました。
外陣には知堂4名が出勤しました。
堂内では勤行本の貸し出しも行われ、熱心にお勤めをされている姿がありました。

お勤めの後は、柴田輪番の挨拶があり、その後、10分ほど休憩に入りました。
休憩時間には別院からコーヒーやお茶の接待があり、熱中症にも配慮しました。

休憩の後は、紙町 正信寺住職の安本正貴先生による法話がありました。

安本先生はまず、「夏まいり」の由来についてお話くださいました。

夏まいりという法要は、香川県の東讃地域独特の法要であり、江戸時代に東讃地域を治めた松平家の殿様が、干ばつに苦しむ民のために「雨乞い」の法要を行うように寺社に御触れを出したことが始まりだそうです。

浄土真宗の教えは祈祷をしないため、この御触れに難儀したそうです。しかし、殿様の命令ですから従わないわけにはいかず、表向きは雨乞いの行事をやりつつ、内面は親鸞聖人の教えを説くようにしたそうです。

法要を開いたところ、神社や他の宗派のお勤めでは雨が降らなかったのに、浄土真宗のお勤めに限って雨が降ったため、「阿弥陀さまのお念仏の功徳は素晴らしい」と、人々から好評を得たそうです。

これについて先生は、「お念仏を申すことと雨が降ることに、関係があるのでしょうか?」と、疑問を呈されましたが、どんな理由があったにしろ、「夏まいり」という法要が私とお念仏をつなぐご縁として、今日まで続いてきた事実を尊ばれました。

また先生は、仏縁は勝縁であり、強縁であると示され、「大切な方に先立たれる愛別離苦という苦しみ」が、私を最も仏縁に近づけることを教えてくださいました。

そして、『歎異抄』で「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」と親鸞聖人が仰るように、娑婆の縁が尽きれば、必ずお浄土に生まれることを強調されました。

先生は、法事の勤め方にも言及され、よく「先祖を供養してあげたい」と仰る方がいますが、法事は亡くなった方を供養するのではなく、逆に、亡くなった方が残された人に「どうか仏縁に触れてください」と、願いをかけていることを教えてくださいました。

先生は大学に入られる直前にお父様を亡くされ、大学院を出て自坊に帰るまでの6年間、お母様が自坊を守ってこられたそうです。

先生は大阪や京都にご親戚がおられるそうですが、お父様が亡くなられてからも、変わらずお中元・お歳暮が贈られるそうです。なんと、そのご親戚の方と先生のお母様とは、一度も会ったことがないそうです。それにもかかわらず、ご親戚の方は、先生のご家族のことを気にかけてくださり、美味しい果物とともに、温かい言葉を贈ってくださるそうです。

その言葉が、先生のお母様の心の支えになったそうです。

施しには色んな施しがありますが、先生はどんな人にもできる施しとして、「無財の七施」について教えてくださいました。

すなわち、①和顔施(優しい表情)、②眼施(優しい眼差し)、③言辞施(優しい言葉)、④心施(心のこもった施し)、⑤身施(行動すること)、⑥床座施(相手に席を譲ること)、⑦房舎施(泊めてあげること)の7つです。

『仏説阿弥陀経』が説かれた祇園精舎という場所も、須達多(スダッタ)という長者と祇陀(ギダ)王子が共同でお釈迦さまに寄進した土地になります。

お中元のシーズン、私たちも誰かに物を贈ることは多いと思いますが、「それ以上に心の施しを大切にしてまいりましょう」というお話を頂戴しました。

法話の後は、全員で『恩徳讃』を唱和して法要を終えました。
帰りに別院からのお土産として、お参りさんにパンとジュースが配られました。

法要の準備から片付けまで、式務部から5人、教化参拝部から4人のご協力を賜りました。
この他、たくさんの方々のご協力を賜り、無事に夏まいりを勤めることができました。
この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。