令和3年6月22日(火)オンライン教学研修会 第13回歎異抄講義のご案内
令和3年6月22日午後6時より、玉木興慈先生の第13回歎異抄講義オンライン教学研修会が開催されました。今回は、歎異抄第5条の「一切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり(命あるものはすべてみな、これまで何度となく生まれ変わり死に変わりしてきた中で、父母であり兄妹・姉妹であったのです)」のご文に関して、共生という概念を一つの切り口として、親鸞聖人における共生の意味を確認する講義となりました。
最初に、奈良時代の僧である行基(668年〜749年)の歌が紹介されました。
「山鳥のほろほろと鳴く声きけば 父かとぞおもふ母かとぞおもふ」
全ての命は共に生き、時代を超えてつながっている、そういう意味になろうかと思います。
次に、現代において、浄土宗の僧である椎尾弁匡(1876年〜1971年)の共生運動が紹介されました。ここでの共生は、全ての命は共に生きているという意味になると思います。その根拠を善導大師の往生礼讃偈、天親菩薩の無量寿経優婆堤舎願生偈(浄土論)、源信和尚の往生要集に求めております。しかし、実際には、上記仏典では、共生は全ての命は共に生きているという意味ではなく、共に往生するという意味で使われています。
そして、全ての命は共に生きているという共生の概念は、縁起(仏法)になじまない側面があります。その例として、下記の書籍が紹介され説明されました。
*長谷川岳史著書「共生(ともいき)と共生(きょうせい)と共生(ぐうしょう)」
*紀平英作編「グローバル化時代の人文学 対話と寛容の知を求めて」
*大柳満之編著「仏教の共生思想と科学技術」
*木村清孝著書「共生と縁成」
*ある掲示板の言葉
*中村桂子著書「生命科学舎ノート」
最後に、親鸞聖人御消息集第2通のご文より、共生とは共に往生するという意味であり、親鸞聖人における共生とは、南無阿弥陀仏と共に生きる事であると教えていただきました。
次回も皆様お誘い合わせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。