令和元年12月12日 教学研修会

令和元年十二月十二日、高松興正寺別院の庫裏二階にて、教学研修会が行われました。今回も、御講師は前回同様に龍谷大学教授の玉木興慈先生をお招きいたしました。「『歎異抄』に学ぶ」の講義の第9回目であります。

今回の内容は、前回に続く第三条のまとめの部分と、第四条の一部です。「悪人正機だから悪をしても構わないという造悪無碍・本願ぼこりは人間側からの言葉であり、凡夫・悪人を放っておけないから誓願・本願を建立された、という阿弥陀仏の側で語られた言葉が悪人正機である。」という弥陀の言葉と衆生の考えについて、また「老若男女という言葉の老少の部分を、老いも若きも、と受けとめると、自分を基準にして自分よりも年上の人も年下の人も、と考えると肝心な自分が居ない。そうではなく、『いつの自分も』、『若い時の自分もこれからの自分』『善い時だけの自分や悪い時だけの自分ではなく、常の自分』と受けとめてはどうか」という老若男女という言葉の受けとめ方などを学びました。

先生がご講義の中で、「このような意味でいただけば豊かな読み方ができるのではないでしょうか」という表現をされていたのをお聞きし、聖典の豊かな読み方という言葉を、とても味わい深く感じました。

質疑応答では、平等の意味のとらえ方についてや、常(つね)と恒(つね)の違いなどについてもお聴きすることができました。

報恩講づとめの多忙な時期でもあり、いつもより参加人数は少なかったのですが、有意義な時間を過ごすことができました。