令和8年6月12日開催 教学研修会 第27回歎異抄に学ぶ
令和8年6月12日に、玉木興慈先生(龍谷大学教授)を講師にお招きし、教学研修会『歎異抄』に学ぶ第27回を開催いたしました。対面での講義にあわせて、オンライン配信も行いました。
先月に続き第13条「専修賢善の異義」にあたり、第13条の概要、異議の提示のおさらいをし、異議の詳説のご説明をいただきました。
前半は「本願ぼこり」とよばれる、「善き行いをすれば往生でき、悪い行いをすれば往生できない」とする理解は誤りであることの先月の復習の後、わざと悪事を働き、それこそが往生できる行いだとする主張(造悪無碍)に対して、親鸞聖人は「薬あればとて毒を好むべからず」とお書きになった『親鸞聖人御消息』第2通、第4通を合わせてお話くださいました。
「身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。」『親鸞聖人御消息』第2通
ここにおける「ゆるし」は、してはいけないことをしてしまう私を「ゆるし」てくれる阿弥陀様のことであり、だからといって甘えるような思いではあってはならない。心の赴くままでいる私を阿弥陀様は救ってくれるのだなどと、そう思っているのなら気の毒なことである。と強く批判をなさっていたことが、印象に残りました。
後半では、殺生の罪業の説明に、直接生き物の命を奪っている者、そうさせて(食べて)いる者、流通して運んでいる者。あり方は違っていても等しく同じ罪業を持っているとし、先月の講義の中にありました、悪事を行う条件が整えば罪を犯しかねないのが私であります。
「不得外現賢善精進之相内懐虚仮」『教行信証 信巻』にて、親鸞聖人は内に虚仮を抱いているのだから、外側だけ善人ぶって取り繕ってはいけないと読み解かれた話をしてくださいました。にもかかわらず、善人だけが念仏することができるように思っている者、念仏の道場に特定の事をしたものの入場を禁止する者を、唯円が非難しています。
造悪無碍を非難し、その非難する人をも非難する。善行を行ったほうが往生の因になると考えることが、阿弥陀様のお力を侮っていることになるとお話いただきました。
第13条は本願ぼこり、造悪無碍を非難し、念仏だけでなく、より多くの善行を往生するために必要だと考える人をも非難する、複雑に感じる条でした。
20分を超える質疑応答もあり、とても和気藹々としたご講義でした。2回に分けて丁寧にご講義をいただきました玉木先生、ご聴講くださいました皆様に心より感謝申し上げます。
(松尾 弥沙 記)