令和8年 高松興正寺別院 夏まいり
7月10日(金)午前10時より、高松興正寺別院の夏まいりが勤修されました。
この日は晴天に恵まれ、30度近くまで気温が上がる中、30名ほどの方が参拝してくださいました。
午前10時より、『正信偈』(中拍子)のお勤めが行われました。
出勤は自由出勤のみの受付で、5名の内陣出勤がありました。外陣には知堂5名が出勤してくださいました。
輪番の松尾修浄氏が導師を勤め、参拝者とともに声を合わせて、気持ちの良いお勤めができました。
輪番挨拶の後、10分ほどの休憩に入り、別院からお茶、コーヒー、甘酒などの冷たい飲み物が接待されました。
休憩の後は、西讃教区より丸亀市垂水町 西坊の渡辺丈文先生の法話となりました。
先生は『三帰依文』冒頭の「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。此の身今生において度せずんば、更に何れの生においてか此の身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるべし」というご文を讃題に掲げられ、今生において「南無阿弥陀仏」の道筋を付けることの大切さについてお話くださいました。
先生はまず、「人身受け難し」とありますように、私たちが人間としてこの娑婆世界に生まれてくることはとても難しいことを指摘され、その中でも「仏法聞き難し」ですから、仏法を聞けることは、とても有り難いご縁であることを教えてくださいました。
仏教では六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を輪廻すると説かれますが、先生は「人間界だけが聞く気になれば仏法に出遇うことができます」と教えてくださり、「次はいつ人間に生まれるか分かりませんので、今生でしっかりと仏縁を結びましょう」とお勧めくださいました。
六道に関連して、お盆の由来である餓鬼道に堕ちた目連尊者のお母さんを救う話にも触れられました。
次に、先生のご門徒さんで30年以上前、事故で息子さんを亡くされたあるご主人の話をしてくださいました。
先生がお講勤めに行かれると、ご主人は息子さんが好きだったロックの音楽を流しながら、「今日は息子の命日でもあります」と、息子さんを偲ばれていたそうです。
息子さんは歌手になることを夢見ていたそうですが、路上のレースに誘われて事故死されたそうです。
ご主人はそれから酒浸りになりましたが、ある日、仏壇に行くと埃塗れの『同朋聖典』があり、ふと棒読みで『正信偈』を上げてみたそうです。
そうしますと、何やら心のつっかえが少し取れたようで、「息子のためにも残りの人生を一生懸命に生きよう」と決心され、それからお念仏申す生活が始まったそうです。
先生が「どうして、お聖教を開こうと思えたのですか?」と質問されますと、ご主人は少し考えて、小さい頃におばあさんに連れられてお寺に参った思い出があり、朝晩にお勤めをしていたおばあさんの姿が思い当たったそうです。
親鸞聖人は「よきひと」との出遇いが大切だと教えてくださいましたが、先生は「ご主人にとっては、おばあさんの後ろ姿であり、亡くなった息子さんの存在が『よきひと』だったのかもしれませんね」と回想されました。
最後に、一休さんのエピソードを紹介してくださいました。
一休さんが風光明媚な石山寺を訪れたときに、「虫二」という文字を書かれたそうです。
お寺の方が文字の意味を尋ねますと、一休さんは「いつか教えてくれるお坊さんが現れる」として、教えてくださらなかったそうです。
それから数百年が経ち、江戸時代に仙厓和上が石山寺を訪れた際、「虫二」と書かれた額の前で合掌され、「近江路や 石山寺の ながめこそ 風と月との 裡(うち)にありけり」と詠まれたそうです。
すぐにお寺の方が意味を尋ねますと、仙厓和上は「私たちはいつも着飾ったり、殻をかぶって生きていますが、本当の美しさは『あるがまま』にあるのです」と仰って、「虫二」の文字に殻を付けてみると「風月」という言葉が浮かび上がることを教えてくださったそうです。
阿弥陀さまの教えも同じで、あるがままの姿を大切にお念仏申して、「弥陀の浄土へ生まれて来いよ」という、よび声を聞かせていただくこと。
すなわち、「南無阿弥陀仏」の道筋を付けさせていただくことの大切さを教えてくださいました。
法話の後は、全員で『恩徳讃』を唱和して法要を終えました。
夏まいりは、午前中のみの法要で行われ、帰りには別院からのお土産として、参拝者全員にパンとジュースが配られました。
法要の準備から後片付けまで、式務部5名、教化参拝部5名のご協力を賜りました。
この他、たくさんの方々のご協力を賜り、無事に夏まいりを勤めることができました。
この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。