令和7年 高松興正寺別院 秋季永代経ならびに本山大相続講

10月10日(金)高松興正寺別院の秋季永代経ならびに本山大相続講が勤められました。この日は素晴らしい晴天に恵まれ、午前、午後ともに30人ほどの方がお参りくださいました。

午前10時から秋季永代経が勤められ、『阿弥陀経』を正宗分にしたお勤めが行われました。各組から代表出勤を賜り、香川組 教信寺住職の谷本俊彦氏が法中登壇を行いました。代表出勤と自由出勤を合わせて、15名の内陣出勤がありました。

法話は本山布教使 西植田町 勝名寺前住職 柴田好政先生にお願いしました。

先生は、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」という『歎異抄』の言葉を讃題に掲げられ、お念仏のはたらきについてお話くださいました。

先生は「永代経とは、亡き方をご縁としてお経に出遇うことです」と教えてくださり、「経はお釈迦さまの教えですが、鏡でもあります」として、お経に照らすことで、自分の心のあり方を教えていただくことを強調されました。

「経」はインドの言葉で「スートラ」と言いますが、「縦糸」という意味があり、仏教の普遍の真理を意味するそうです。

僧侶が葬儀のときなどに着用する七条袈裟で背中に垂らす組紐を「修多羅(しゅたら)」と言いますが、先生は「修多羅はスートラの音写であり、修多羅を付けることは、お経を背負っていることです」と教えてくださいました。

たくさんのお経がある中で、浄土真宗は「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」の浄土三部経を大切にします。

その中で親鸞聖人は「仏説無量寿経」を真実教と仰ぎ、他の2巻を方便の教えと捉えておられますが、先生は「方便がなければ真実は分かりません」として、ものごとには段階があることを教えてくださいました。

そして、親鸞聖人が書かれた『正信偈』は、真実教に出遇えた「よろこびのうた」であることを教えてくださり、冒頭の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の言葉についてお話くださいました。

『和訳正信偈』では「ひかりといのちきわみなき」と訳されますが、先生は「光は見えないものが見えてくるはたらきです」として、光を通して自分のことが見えてくることを教えてくださいました。

また、いのちについては、「時間の長さではなくて、今日一日をどれだけ有り難いなと思えるかです」と教えてくださいました。

いのちについて先生は、『癌告知のあとで』という本を書かれた鈴木章子さんの話から、癌という病気を通して、ご主人が夜寝る前に「また明日会えたらいいね」と挨拶を交わすようになったエピソードを紹介してくださいました。

鈴木さんは「癌という病気を賜ったお陰で、自分に目覚めることができました」「人生の卒業式をさせていただきます。これからお浄土の新入生です」と仰ったそうで、心臓も動いている、目も見える、耳も聞こえると、いただいた一つひとつのおかげさまをよろこんでおられたそうです。

これについて先生は、「それぞれの身体、心の中に宿ってくださっているはたらきが仏さまです」と味わわれました。

そして、仏さまがはたらく理由として、「私たちが自分の根性に自分で気づくことができないからです」として、「本当の光に目覚め、本当のいのちにおまかせする」ことの大切さを教えてくださいました。

若い頃は生活に追われてなかなか自己を問えませんが、先生は「子育てが終わった今こそ、自己が問える最良の歳です」と強調され、「いつ死んでも当たり前の中で、たまたま今日も生きさせていただいていることに気づくことが仏さまのはたらきです」と教えてくださいました。

最後に先生は、「煩悩具足の凡夫であることは変わりませんが、お念仏のはたらきに出遇うことで仏に成るのです」として、北原白秋さんの「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク ナニゴトノ不思議ナケレド」という詩を紹介してくださいました。

また先生は、お念仏のはたらきを浄土からやってきた弥陀の船に譬えられ、「阿弥陀さまは私たちに私の船に乗ってほしいと願われていますが、私たちは乗ることをためらいます。それはきちんと戻れるか不安なのではないですか?」と指摘されました。

しかし、親鸞聖人は「往還回向由他力」(『正信偈』)と仰っていることを紹介され、「往くも還るもお念仏」「今日一日をよろこび、感謝しましょう」と締めくくられました。

お昼は、東讃教区連合仏教婦人会様(重蓮寺、秀円寺、正信寺、長安寺、養福寺、法専寺)のご厚意で、うどんとバラ寿司の接待がありました。

また、東讃教区坊守会様からも第5組の坊守3名がお手伝いに来てくださいました。

心温まるおときをいただき、法中もお参りさんも大変満足された様子でした。

おときの後は本堂係が教化参拝部から相続講委員へと引き継がれ、本山大相続講が開講しました。
午後1時、法中とお参りさん全員で声を合わせて『讃仏偈』をお勤めしました。

お勤め後、相続講委員長の堀 淳乗氏から挨拶がありました。

本山大相続講とは、文政11年(1828)4月6日に興正寺第27世 本寂上人が「親鸞聖人のお念仏の教えを相続し、繁昌させてほしい」という願いを込めて、讃岐の地にご消息を下されたのがはじまりです。

「相続」という言葉には、「お念仏の教えを聴聞するための道場(本山)を護持してほしい」ことと、「お念仏の教えをよく聴聞し、それを次の世代に正しく伝えてほしい」という願いが込められているそうです。

そのため、ほとんどの時間が法話に充てられ、法話は一人15分の持ち時間で、複数の布教使が続けて行う形態になっています。お参りさんにとっては一度に複数の先生のお話が聞ける、大変有り難い法座です。

現在は、各組の寺院を会所とした相続講と高松興正寺別院を会所とした相続講の年2回行われています。

この日の法話講師は以下の3名です。
赤松 円心 師(第1組 正行寺住職)
黒田 弘宣 師(第2組 常満寺住職)
安藤 弘浄 師(第3北組 円徳寺住職)
講師の選出は、各組に振り当てられており、今回は第1組、第2組、第3北組から選出されました。

その後、松尾修浄輪番によるご消息披露が行われました。
ご消息披露とは、本寂上人のご消息を代読させていただく作法です。

ご消息披露の後は復演と言う、ご消息の心を分かりやすくお伝えするための法話が行われました。

今回の復演は、坂出市中央町 西園寺前住職の田中光海先生にお願いしました。

先生は、「赤ちゃんをあやしていないときでも、赤ちゃんが笑うときがあります。なぜでしょう?」と問いかけられ、お浄土に生まれた人が迷える人を救うために現世に戻ることについて教えてくださいました。

先生は95歳になる門徒さんから、「歳を取るのはつらい。でも、楽しいで」と語られたことを紹介してくださいました。

これについて先生は、「この方は往生を知っているからです」と仰って、「死は通過点です。その後はお浄土で生きている先祖と再会できるのです」と教えてくださいました。

親鸞聖人も「蓮華(はちす)の国にうまれては 真如のさとりひらきてぞ 生死(しょうじ)の薗にかえりきて まよえる人を救うなり」(『和訳正信偈』)と説かれています。

また、NHKの『クローズアップ現代』という番組でも、亡くなった方が目の前に来てくださる「お迎え現象」についての特集があり、ある医師が患者さんの家族にアンケートを取ったところ、45%の方が「ある」と答えたことを紹介してくださいました。

実際に先生の門徒さんのお宅でも、9歳の子が「(亡くなった)おじいちゃんが見える」と答えたことや、先生のお孫さんも突然会ったこともない「ひいじいちゃんがおる」と答えたことを紹介してくださいました。

先生は「往生を知っていれば、ニコニコしながら死んでいけるのではないでしょうか?」と指摘され、「また浄土でお会いしましょう」と明るく締めくくられました。

講師の皆様、とても貴重なお話を有り難うございました。

最後に、相続講副委員長の葛西一浄氏より挨拶があり、『恩徳讃』を唱和して閉講となりました。

朝から長時間にわたる法要でしたが、ほとんどの方が最初から最後まで聴聞されていました。経本を見ながら法中と一緒に声を出してお勤めされる姿や、熱心にメモを取りながら聴聞される姿も見られました。

維那2名、知堂5名、教化参拝6名の役職者には、法要準備から午前中の秋季永代経までご協力いただきました。相続講委員10名の役職者には、午後の本山大相続講から法要の片付けまでご協力いただきました。

この他、おときの接待をしてくださった仏教婦人会の皆さま、坊守会の皆さまなど、たくさんの方々のご協力を賜りまして、無事に秋季永代経ならびに本山大相続講を勤めることができました。

この法要に携わったすべての方に対して、厚く御礼を申し上げます。







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