仏事

仏事とは

人生は様々な節目に彩られています。子どもの頃は、入学式や卒業式、大人になると、成人式、結婚式、人生の最後にはお葬式を迎えます。身近なものではお正月、誕生日、命日もその一つです。
新しい環境に飛び込んでいくとき、人生を振り返る時など、儀礼は人生の節目には欠かせません。
仏事は、慌ただしい日常を離れて、故人を思い直し、自らが歩んできた道のりを振り返ることのできる大切な機会です。私を支えてくれる、故人や親族、有縁の方々とのいのちの繋がりを確かめなおし、阿弥陀さんに手を合わせましょう。

臨終勤行(枕経)

人は、いつどのような形で死を迎えるかわかりません。身近な人の死をなかなか受け入れられないということも少なくないでしょう。臨終勤行(枕経)とは、亡くなってすぐに枕元でおつとめをする最初の仏事です。亡くなった方と向かいあう時間がはじまるとともに、仏の教えとの出会いを意味しています。
身近な人を失うということは、人生の中で最も大きなストレス(心への負担)です。仏事を通してご遺族の気持ちに寄り添い、少しずつ受け入れていくお手伝いをするのが私たち僧侶の役割です。突然の出来事で何をしていいかわからないと思います。気軽に僧侶にご相談ください。

通夜

親族や有縁の方が集まり「夜を通して亡くなった方を偲ぶ場」です。亡くなった方のことを振り返る時、どうしても晩年のことばかり思い返してしまいます。ですが、その人生には実に多くの出来事があり、お集まりになった方それぞれに故人と共に過ごした思い出があることでしょう。そのことを振り返り、皆で語り合うことで、「懐かしいなぁ」「こんな面もあったんだ」と、改めて亡くなった方の人生を想い、その方とのご縁に感謝しましょう。

葬式

亡くなった方のお顔を見ながらお別れをする区切りの儀式です。愛する人との別れはとても辛く悲しいことですが、人は死んだら終わりではありません。亡くなった方は、阿弥陀さんの願いによってお浄土に生まれ、仏になります。そして、お浄土で先立たれた方々とまた遇うことができるのです。
寂しさを感じるということは、それだけ一緒に過ごしたことが楽しく、大切な時間だったということです。皆で手を合わせ、思いを巡らせましょう。

中陰法要(初七日・七日参り)

お骨と歩む人生がはじまり、私たちが悲しみから立ち直り日常を取り戻していく期間です。身近な人の葬式は「自分の小さな葬式」ともいわれ、普段意識しない「死」と向き合う機会でもあります。「死」を意識することで、「生」を考えるきっかけになります。今後の人生の拠り所となる「仏道」を共に歩みましょう。
また火葬後、自宅に帰ってきたお骨は葬儀業者が用意した中陰壇に安置されます。中陰壇に遺影やお供物が供えられるため、ついそちらに目が向きがちですが、正しくは、お仏壇に向って手をあわせ、お勤めをします。

満中陰法要(四十九日)

葬儀や七日参りを経て、その締めくくりの法要にあたるのが四十九日の法要です。亡くなった人のことをこれほどまでに考える期間は後にも先にもないでしょう。仏になった故人は、迷いの世界に還って私たちに教えを導いてくれます。亡くなった方からいただいてきたものは何かを振り返り、お念仏申しましょう。
世間では、「四十九日が三か月にわたるといけない」という迷信がはびこっています。これは始終苦(四十九)が身につく(三月)から」というただの語呂合わせですので、迷信に振り回されず、多くの方が集まることの出来る日を四十九日の法要に選んでください。

百か日法要

百日を節目に悲しみと決別する儀式だと中国の慣習ではいわれておりますが、悲しみはなかなか消えるものではありません。故人の身の回りを整理していると、改めて故人と出遇いなおすことがあるでしょう。いのちのつながりを感じ、阿弥陀さんに手を合わせ、悲しみとともに歩んでいきましょう。納骨の時期に決まりはございませんが、このころから二・三年のうちに行う場合が多いです。

祥月命日・月命日

年に一度の命日を祥月命日、毎月の命日を月命日といい、私たちにとって最も身近な仏事です。いつ何が起こるかわからない世の中を私たちは生きています。そんな日々の積み重ねが、ひと月、一年となります。月に一度、年に一度の節目に、自らの歩みを振り返り、仏の教えに耳を傾けましょう。

年忌法要

法事は、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌、三十三回忌、五十回忌と続いていきます。法事(仏事)というのは、亡き人を縁として、仏の教えに出会い、今ある自分を見つめ直す場です。親しい方が亡くなって、五年、十年、二十年と自分が年を重ねたからこそ見えてくること、気づくことがあるでしょう。
また先立たれた方や、今ある人とのいのちの繋がりを確かめなおすことのできる場でもあります。今ある自分の「いのち」、それを支えてくれる「つながり」、仏の教えにより気づかせてもらった「よろこび」を感じる時間を共に過ごしましょう。